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【書籍】『まんが少年、空を飛ぶ』まんがと飛行機を愛した、若き特攻隊員のドキュメント

若く、夢と才能にあふれたひとりの少年が、予科練に入隊して特攻に行くまでの2年半の間に遺した家族への手紙やスケッチをまとめた一冊。

著者の山崎祐則さんは1925年、高知県生まれ。村で唯一の医院を開いていた山崎家の四男で、夜須村(現・高知県香南市夜須町)で子ども時代を過ごしました。小さな頃からまんがを描くのが得意だった祐則さんは、進級した旧制中学でも、まんが同好会を作り「青空高士(あおぞらたかし)」というペンネームでまんがを描きました。その名前からもわかるように、彼は空を飛ぶことを夢見る少年でもありました。

1942年に中学を中退し、三重海軍航空隊に入隊した祐則さんは、飛行機乗りになることを夢見ながら、仲間たちと訓練に明け暮れる日々のあれこれを、得意のまんがを添えた絵手紙で家族に報告しました。入隊してまもない時期に送った下の手紙では、ハンモックで寝起きしていることや朝の掃除の大変さなどを伝え、「軍隊では手紙と食事がいちばん楽しい」と書いています。

また、軍隊生活のようすをポストカードのように描いて残した作品もあります。


予科練・飛練とつづく練習教程を卒業後、1944年には愛知県の豊橋海軍航空基地に実施部隊(実戦部隊)として配属されます。最新鋭の飛行機に乗って空を駆けめぐる念願の日々であると同時に、それは戦場への出撃を待つ時でもありました。

1945年になり戦況が悪化の一途をたどる中、ついに出撃命令が下ります。半日だけの休暇をもらった祐則さんは、故郷・高知に向けて飛行機をとばし、上空から家族のいる我が家をじっと見つめました。

<夜須の上を飛んだときの手紙>
・・・・・・ご両親さま、2月14日の午後12時15分にはいかがしておりましたか。このときが、わたしのじつに嬉しかったときでした。(中略)直下に手結港が見えました。12時15分です。どうです。ご両親さま、私が穴のあくほど家を見つめていたのを、虫の知らせでもご存じですか。今ごろ、義ちゃんはどうしているかなあなどと、私の気持ちは、感激は、しばらくの間けっして消えることはできませんでした。(中略)明日から出水町を去ります。生きて会えるかどうかわかりません。母上のご面会もできなくなりました。しかし私は一昨日、家の上空二千メートル(半里)の近くまで、私は帰りましたよ。

この手紙の約1か月後の1945年3月21日、祐則さんは九州東南沖へ出撃し、帰らぬ人となります。享年19歳。

その後、友人から家族宛に送られてきた祐則さんの貯金通帳には、「私は特攻隊で行きます 皆さま御機嫌宜しくお暮らしください 父上様 母上様 御元気で サヨウナラ 祐則」と走り書きされており、これが遺書となりました。

戦争中、軍隊でこんなまんがが描かれていたということを知る資料として大変貴重なものであり、戦争によって失われたかけがえのない才能と、戦争の時代を夢も希望ももって生きたひとりの若者の人生を、今に伝える記録としても大切な一冊です。

是非この機会に読んでみてはいかがでしょうか。