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【アートコラム】もっと、知る識る! フェルメール vol.1

現在、上野の森美術館で開催中の「フェルメール展」。
開催当初から大変人気となっている美術展ですが、あなたはもうこの美術展へ足を運びましたか?

【レポート】日本の美術展史上最大!初公開作品を含む、9点が東京に!『フェルメール展』

柔らかに差し込む光、黄色の衣装を身いまとった女性たち…そしてなんと言っても、フェルメールブルーと呼ばれる、美しく透き通るような青色。
フェルメールの作品には、沢山の魅力がありますよね!

とっても人気だし、美しい絵画が多いことはわかったけれど、フェルメールってどんな時代に活躍した、どんな画家だったのでしょうか?

そんな「いまさら」だけど知っておくと作品鑑賞が楽しめる、フェルメールと彼が生きた時代について、全3回でお届けいたします^^

知っている人は、おさらい感覚で!!
知らない人は、ちょこっとワイドショー見る感覚で、この先ををお読みください。

本名は、ヨハネス・フェルメール。さて、英語読みだと…?

フェルメールの本名(本名っていうのもおかしいかな?笑)は、ヨハネス・フェルメールと言います。
英語表記では、Johannes Vermeerです。

ここで注意してほしいのは、海外でフェルメール作品を見に行くときに発音に注意してくださいね!
「フェルメール」は日本での呼び名のようで、海外では「ヴァーミア」という発音になります。
ヴァーミア…なんだか聞きなれないけど、スペルを見ると納得できるかもしれませんね^^

じつは、画業の他に宿屋兼居酒屋を経営

フェルメールは、1632年にオランダのデルフトに生まれ、43歳で亡くなるまでこの地で過ごしています。
実家は、「メーヘレン」という宿屋兼居酒屋でした。結婚前までの資料はあまり残っていないそうですが、10代は画家修行をしています。20歳で父親が亡くなったのを機に、この宿屋兼居酒屋「メーヘレン」を継ぐこととなり、結婚後も画業をしつつ、この宿屋兼居酒屋を経営していました。

居酒屋や宿屋を営みながら、画業をやっていたというのは、なんだか意外ですよね。
じつは、当時のオランダは、絵画を売り買いするメイン顧客が市民だったので、パン屋さんが絵画を売っていたりもしていることもあったようです。
なんだか現代では異色の組み合わせのような気がして、なかなか想像がつかないような気がしてなりません…笑

結婚し、画家としての評価も上がるけど…

フェルメールは、「メーヘレン」を継いだ翌年に、一歳年上の裕福な家の生まれであるカタリーナ・ボルネスと結婚します。この結婚は、最初カタリーナの母親に猛反対されていたそうです。その理由は宗教によるものと言われています。
当時のオランダは、プロテスタントが多かったようですが、カタリーナの実家はカトリックを信仰していました。そこで、フェルメールはプロテスタントからカトリックに改宗し、カタリーナと結婚しました。
宗教を変えてまで結婚したのですから、相当カタリーナが大好きだったのでしょう♡
しかし、経済的には苦しかったためか、妻カタリーナの実家から援助をしてもらっていたようです。

その後、20代後半になると、画家としての評価も上がってきます。今回の美術展でも展示されている作品『ワイングラス』は、ちょうどこの頃に描かれた作品です。
また、30代になると、“デルフトで最も腕の良い画家”としても評価されるようになりました。
このように聞くと、「お、やっと順風満帆になったのかな?」なんて思いますよね^^

…しかし、違うんです。まだ経済的には余裕がないままなんです!

この時も、まだカタリーナの母親からの支援を頂いたり、借金をしつつ、頑張って生活していました。
でも、ここまでくるとある疑問が頭をよぎると思うんです…
『え、どうしてこんなに評価が高まっているのに、そんなに生活が苦しいの??」…と。

フェルメール一家が経済難になる2つの理由

子どもが、15人もいる!!

そうなんです。フェルメール家は子供がたくさん居たんです。
フェルメールが43歳で亡くなる時も、成人していない子供が8人も居たほどの子沢山。
フェルメールとカタリーナを合わせても17人家族です!
これが現代だったら、確実に「大家族」の取材オファーが、TV番組から届いていたことででしょう。笑

作品を描く画材が一級品!!

フェルメールの作品でお馴染みなのが、透き通るような深い青色。これは「フェルメールブルー」と言われていますが、非常に貴重な顔料でウルトラマリンブルーという色です。原料は、「ラピスラズリ」という石を使用しており、通常使われる絵の具をはるかに上回る価格だったようです。

ちょっと、想像してみてください…!

例えば、自分の旦那さんが、ルビーを砕いて絵の具にしていたら…
もはやあなたは、絶叫ものですよね!?
そのくらい高価な絵の具を、フェルメールはふんだんに自分の作品に使用していました。
(私がカタリーナだったら、毎日めちゃくちゃ小言を言っちゃいそうです…笑)

晩年は、さらに資金集めに奔走!!


40歳を過ぎると鑑定士としても働きはじめたフェルメールですが、オランダの経済が衰退していくのと同時に、絵画制作の注文も激減していきます。
借金の返済や義母のために貸付金の回収に奔走していたフェルメールでしたが、43歳で亡くなりました。
亡くなるまでに、家財道具や自分の作品なども売りに出していたそうですが、最後まで大事に自分のもとにとっておいた作品が『絵画芸術(画家のアトリエ)』という1666~68年に描かれた作品です。

現在では、多くの人から大変人気で評価されているフェルメールですが、彼の生涯をみていくと、なかなか経済的には波乱があったように思えます。
しかし、「絵を描く」ことへのプロ意識は、作品を見れば分かる通り。とても素晴らしい技術と美しい色で、私たちを魅了してくれるものばかりですね。


さて、今回はフェルメールの一生をご紹介いたしました!
次回は、顔料にまでこだわり抜いて描いた、フェルメールの作品を紹介していきたいと思います♩
どんな作品があるのか、思い浮かべながら、次回をお待ちくださいね^^